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テルツィーナの系譜(1)

ツイッターでもつぶやいた、堀川シェフの食事会の件を詳しく。
いつもなら、こういうイベント系はあまりブログには書かないのだけれど、これはどうしても記録しておきたいので、忘備録として。

2月13日。
翌日に50回目の誕生日を迎える「トラットリア テルツィーナ」堀川秀樹シェフを祝おうと、1日限りのとても贅沢なパーティが企画された。

集まったのは、堀川さんが育てたテルツィーナの卒業生、そして彼らのスタッフたち。メンバーはとにかく豪華だった。Magari宮下輝樹オーナーシェフ、Sagra村井啓人オーナーシェフ、リストランテ テルツィーナ小川智司シェフ、Oggi高尾僚将オーナーシェフ、Oggi大澤佳代パティシエール、リストランテ テルツィーナ安住正弘支配人、カンティネッタ サリュ福島真理子支配人、もちろんテルツィーナの現役スタッフも。

卒業生に関しては、自らのお店をその日は閉め、スタッフを引き連れ、このイベントに参加している。そこに、堀川さんという人の人徳と、彼らの過ごしてきた時間を思う。

ゲスト側で参加したのは、伏見にテルツィーナがあった頃からのおつきあいとなる顧客と関係者。約50名+個室にもいらしていたみたい。厨房のあっちもこっちもものすごい人の数で、会が始まる前から不思議な高揚感に満ちていた。

だってそうだよね。厨房の中では師匠と卒業生が一緒に仕事をするのだし、客側はそのメンバーの料理とサービスを堪能できる。加えて、堀川さんの50歳のお祝いだし。これはもう、祭りだね。

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この日は3月27日にOAになるSTV「D!アンビシャス」の堀川さん特集の密着取材もあり。

書いていて長くなりそうな予感…。
この話の続きは、以下の<続きを読む>へ。料理をご覧になりたい方は、テルツィーナの系譜2へ。

堀川さんとの思い出をいくつか。

私が初めて堀川さんの料理を食べたのは、堀川さんが料理長をしていた「タベルナ・ラ・ピアッツァ」で。1990年代中盤の話なので、何を食べたかは正直、まったく覚えていないけれど(ひどい…)、とても感動したことは覚えている。

ピアッツァの近くには市電の電停があって、店を後にした時はすでに市電が終わっている時間だったのに、それにも気づかず、市電を待ちながら同行者と料理話でしばし盛り上がっていた。あの光景だけは妙にしっかりと焼きついている。

当時の札幌はまだ、パスタ屋さんとイタリア料理の境界線が曖昧な時代。こんなにおいしいイタリア料理が楽しめるお店ができたのかと、しみじみ嬉しく思った。

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▲チーム・テルツィーナから贈られた、お祝いのコックコート。卒業生とゲストが、コメントを寄せ書き。

そして、山(伏見のこと)のテルツィーナがオープンしたのが、1998年。※2004年にファクトリーに移転。

堀川さんはとてもわかりやすく「北海道発 イタリア料理」というコンセプトを掲げた。イタリア料理はご存知の通り、地方料理の集大成。地元食材を使うのは当たり前。その流れでいけば、北海道の食材でイタリア料理を表現することは、堀川さんにとっては極々自然なことだった。

道産食材をイタリア料理に使うことで、私たちもイタリア料理がぐっと身近になり、また道産食材の価値を上げることにもつながった。堀川さんという料理人も、山のテルツィーナも、札幌イタリアンのエポックメイキング的な存在だったと、あらためて思う。

山テル時代、取材者としてよく話を聞かせてもらった。堀川さんには随分、イタリア料理の知識を学ばせてもらったなぁ。

いくつも印象的な話はあるけれど、今回のイベントにつながると思ったのが、この話。

堀川さんの修業時代は、師匠や先輩からの当たりがキツかった時代。厨房には怒号やら何やらが飛び交っていた。自分が人を育てる立場になったら、同じやり方は絶対しないと思ったのだそう。そんな連鎖は断ち切ったほうがいいんだ、と。

実際、シェフとして人を使うようになり、堀川さんはのびのびと人づくりをしてきたように見える。もちろん、締めるところは締めていたと思うが、山テルの雰囲気はとても明るく楽しかった。

だからこそ、堀川さんの50歳のお誕生日に、こんな企画が実現したのだと思う。今回参加した卒業生の顔ぶれを見るにつけ、すばらしい人材を輩出しているなぁ、と改めて思う。今後、この系譜がどうなっていくのか、そこも楽しみだったりする。

テルツィーナの系譜(2)では、当日の料理内容をスナップで。

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